ネグレクトだった祖父母②
ネグレクトだった祖父母。現在80代。
ようやく片方は施設に入ったが、それまでは県内に住むという理由でうちの実家が面倒を見ざるを得なかった。現在も片方は自宅で生活している。
従姉の1人が県内に越してきたので最近は負担が減っているようだけど。
まぁ諸々が降り掛かっていた時期も、私は家を出ていたので大した直接被害ではない。しかし間接被害がすごい。
母に話し相手がいないのかなんだか、うんざりするほど祖父母の愚痴が送られてくる。
遠方に住む伯父がたまーに来るのには小遣いやってニコニコしているのに、頻繁に世話してやってるこっちには何もないだの大体そんな話。
仕送りゼロで学校に行きながら家賃や生活費を自力で稼いでいた多忙な苦学生だったので、なんで金も出さねえ親の愚痴を聞いてやるサンドバッグにならねばならんのだという話だし、正直私と弟で不平等な扱いしておいて親には文句言うんだ。へー。としか思えなかったw
あとは可愛い息子(弟)の名前を祖母が忘れてしまい毎回激怒。知らねーよ婆さんに怒れよとしか思えない。
あんまり会いにこないお前のことは覚えてるのにと毎回あるので、いっそ私のことも忘れてくれないかなとさえ思っていた。
祖母は母の母としては問題大ありだったし、祖母としてもそれ孫に言うか?みたいなこともあったが(母の愚痴。金を返さない等。孫に言うな孫に。)概ね私のことを可愛がってくれた。それでもいっそ忘れてくれたらいいと思うくらい母の愚痴が鬱陶しく感じた。
忘れたのは私じゃない。孫に序列をつけてくれるなという気持ちが分からないではないけど、母自身も弟の方ばかり気も金もかけているくせにと思うし、そもそもそれは序列を付けられた側にはどうしようもないことだ。にも関わらずグチグチ言われると気が滅入った。
がしかし。先日身内の結婚式で久々に祖母に会ったら見事私の名前も忘れて祖母の姪(母の従姉)の名前で呼んでいた。弟も祖母の甥の名前で呼ばれていて、ちょうどこの2人は姉弟なので、これでめでたく平等に忘れられた上できちんと祖母の中で姉弟になっている。
痴呆がすすむと若い頃の記憶に戻っていくから、老人ホームに昭和の風景の庭を作った、的な特集を夕方のニュースで見たことがある気がするが、本当に若い頃の記憶に戻っていくんだなと他人のように考えてしまった。ちょうど祖母が間違えている2人は私たち姉弟になんとなく容姿が似ているらしいし。
何はともあれ、もうお前だけ覚えていると言われなくて済む。そう思ったら、ほっとした気持ちが忘れられた寂しさを大きく上回った。残念な話である。
ネグレクトだった祖父母①
毒親は連鎖する。
毒母から未だに、毒母自身の幼少期の愚痴を聞かされる。
毒母もまた、毒親育ちなのだ。
毒母から聞かされる祖父母の毒親エピソードは大体経済的虐待かな?という内容。
洋服や靴を買ってもらえない、また洗濯してもらえない。お小遣いもなくお年玉も没収なので自分でどうすることも出来ない。
親族が出してくれた節目節目(節句や進学、結婚等)のお祝いも全て没収。祖母の言い分としては、私が払ってるから返ってきたものだから自分のモノ、とのことらしい。
子供にかかる費用は絞れるだけ絞ったという印象。
まぁそれ以外にもそれなりに暴力もあったようだし(私たちに手を上げる時、自分はもっとやられていたみたいなことを言っていた)、それから面前での夫婦喧嘩や配偶者の悪口等。これも私達もやられたか。見事な連鎖w
しかし、闇が深いのは彼らはそれだけ経済的虐待に当たるようなことをしておきながら、現在かなり貯蓄がありそうなこと。ねずみ講では?と思うようなバカ高い健康食品に手を出したり頻繁に車を替えたりしていた。
車に関しては歳をとってぶつけては替えを繰り返していたみたいだけど。車屋も売らないでくれよ。現在は免許のあった祖父が施設に入り最後の車は私の従兄弟に譲ったようだ。他人に危害を加える前に運転習慣がなくなって良かったと心底思う。毒な上に殺人加害者の家族にされちゃたまったものじゃない。
その他、子供の手が離れてから家を買い直したりしている。つまり、搾取したお金を溜め込んでいたということだろう。搾取しなくても生活は成り立ったのではないか?と毒母が憤るのもまぁ無理はない。
この祖父母だが、今でも毒親と同じ県内にいるので定期的に毒母から愚痴を聞かされることになって迷惑している。
毒母も縁を切って離れてしまえばよかったのに、ズルズルと付き合いを続けているのがいけないと思ったりする。もっと毒を絶つことが一般的になったらいいのに。
毒親が自分たちが毒親だと気づく日は一生来ないという話
もうできるだけ関わり合いになりたくない。
子は親の鏡
先日、同居人の甥に会う機会があった。
会うのは2度目くらいかな?
とはいえ1度目はだいぶ前だしまだ2歳半の幼児にとっては初めましてに等しいだろう。
自分自身が人見知り爆発タイプの子どもで他人がとにかく苦手だったから、警戒されたりするのは想定内だったのだけど、彼は一切そんな素振りは見せず、お気に入りのおもちゃを見せてくれたり、これは赤、これは黄色と色を教えてくれたりした。多分いつも周りに褒めてもらっているのだろう。その姿が可愛くて私もしっかり褒めておいた。
中でもカルチャーショックだったのは、同居人の家族とカラオケに行った際のこと。
彼は同居人の家族や私が歌うと、
すごーい!じょうず!!
と褒めて回っていたことだ。
しみじみ、この子はいつも周りにポジティブな言葉をかけられて生きているのだろうと考えてしまった。
いつも自身がかけられている言葉が出てくるのだろう。
私は小さい頃から褒めるのも褒められるのもとても苦手だった。
感情が分かりづらいとか薄情だ冷たいだ色々言われてきたけれど、よく考えたら貶されて育ったのだから当然だ。
そして自分も音痴だなんだと貶されるのではないかと気づいたら親の前で鼻歌すら歌わない子どもだった私は、このままの綺麗な心で育ってくれと心底思った。
それと同時に、自分が親になるなら本当に気をつけなくてはいけない。散々映ってしまった親の姿をさらに子に映すことのないように。
早く消さないと。
それから。
私には血族の配偶者にあたる、血縁関係のない叔母(伯母)が二人いる。父方に一人、母方に一人。
母方の伯母は理想の母といった感じで、遊びに行ってもいつも優しくしてくれた。この家に生まれたかったと100万回は思ったかもしれない。
対して父方の叔母は正直嫌な奴だった。
風邪を引いた娘(私から見れば従姉。そして彼女はその叔母の連れ子)を連れて帰省しては当時まだ乳児の弟にうつって毎度大変な目に遭っていたのに、悪びれる様子もなく。
下に叔父叔母夫婦の実子となる長男が生まれてからは、猫可愛がりしている息子が私たちに何をしようと知らん顔で。武器のおもちゃで叩かれたり暴言を吐かれたりした。
それ以外にも嫌いな食べ物をドヤ顔で料理し出されたり。
まぁ何となく「他人」を感じていた。
子供ながらに私や弟はこの女からしたら血縁のない他人だしなんの感情もないんだろうと思っていた。
正直感染に関してはそんな従姉が来ていることを知りながら自分の身内だからと祖父母の家に連れていく父も父だけども。
血縁的には他人の私たちにも優しい母方の伯母を聖母のような人と解釈し諦めていた。が。
いや同居人の甥普通に可愛いぞ。赤ちゃんのうちは風邪ひいて会ってはいけないとか手洗ってからいこうとか普通に思ったし、やることなすこと可愛い。
薄情な人間と言われて育った自分が、ちゃんと血縁はない同居人の甥(まぁいつか自分の甥に鳴るかな)を可愛いと思えることがちょっと意外でもあり。
可愛いと思う方が普通なのかもしれない。そして自分が「普通」側に居られることに微妙な安心感を覚えた。
言われたマイナスな言葉に支配されて薄暗い人間になっていただけなのかもしれない。
まずは自分はそんなに悪いやつじゃないと思い込むことで、本当に悪いやつじゃなくなる一歩になる気がした。
ポジティブな思い込み。難しいけど少しずつやりたい。
現実の貧乏って?
今更ながら虐待動画を見てしまった話
弟が蹴られる動画を兄がTwitterにアップして、結果加害者である母親が逮捕された事件。
我が家は録画した番組を見るのがメインであまりワイドショーを見ないのもありつい最近知った。
子どもが怪我しなくても、死ななくても親を捕まえられるんだと。
うちの親も10年前に突き出せば捕まったのかなとか、この数年で児相や警察の対応が変わったのかなとか色々考えてしまう。
同じようなことをされたという元被虐待児のツイートをいくらか読んだ。
そして、私もツイートはしないもののその1人だなと。
そんな毒親育ちが最も気になったこと。
撮影する行為よりその場で助けてやる方がいいのではないかというあの理論。
人間に限らず虐待動画が流れると必ず出る、撮ってないで助けてやれという人。
自分が似たような場面に遭遇したことがないのか、はたまた自分のことは棚に上げて他者を糾弾するタイプなのか。
前者なら心から羨ましいし、後者なら他人の状況や心情を汲めないあたり、虐待親たちに近い人種な気がしてお近付きになりたくないw
うちもあった。叩かれたり蹴られたり。
私の手の方が痛いわ!とうちも宣ってたので、自分の方が痛い=相手のためにやっていると謎にすりかえるのは虐待親の共通点なのかもしれないと思った。
まぁアザになるほどではないけど、いっそアザができてしまえば公的機関に訴えられるのにと思いながらやられていた。
今は子供もかなりの割合でスマホを持っていて、動画でこうして証拠を残して訴える方法ができたんだなと。
よくない使われ方もするのかもしれないけど、いい時代になった気がする。
そして暴力については、やられるのは私だけではなく弟も。
しかしすごく理不尽だなと思ったのは、弟が叱られている(もはや叱るではなく、叩かれているや怒鳴られているないしは蹴られているが正解だけど)のに何故お前は庇ってやらないんだと両親に怒られたことである。
こうやってよく薄情者扱いされたものだ。
おかげで私は自分は生まれつき性格が悪くて薄情で人でなしな性格なのだとつい最近まで思っていた。
いやしかし。待てよ。
庇わなきゃいけない叱り方(叱るの範疇ではない)をする方がおかしくないですか?!?!?!?!?!
撮ってないで止めろとかいう無責任なTwitter民の何億倍理不尽である。
止めなきゃならない叱り()方をしているのはお前らだろうが\(^o^)/
確かに私が叱られていると弟はこっちにやってきて親の機嫌を取ろうとしていたときもあった。
でも当時の彼は3歳とかそのくらい。
まだ機嫌をとったところで自分に火の粉が降りかかる可能性があるだけで大した効果も生まないと学習できてないような年齢で。
弟より6歳上の私は彼が殴られるような年齢になった頃には、この親が何を言ったところで怒ってる時には手が飛んでくるし止めたところで無駄でしかないと学習させられ諦めの境地にたどり着いていた。
変にその場にいれば自分まで難癖をつけられるわけで。
こんなことのために自分の性格は人でなしと思って生きてきたのはなんだったのかw
確かにそんなに性格がいい方でもないけど、自分の子どもに性格が悪いと思い込ませることになんの価値があるのか。
実際、同居人は穏やかで優しい性格だが、同居人の両親に会った時には「この子は優しいのが売り」と言っていた。
自分は優しい人と思って育った方が実際に他者に優しい行動ができるのかもしれない。
日本は自分のことは卑下しておくのを良しとする節があるけど、子供は自分とは別人格であるわけで。親の体裁のために卑下されるいわれはないはず。
自分がもし親になることがあったら褒めて育てたいと肝に銘じている。
育てるぞ、自己肯定感。
今年も花粉症が出てきて思い出したこと。
最初このブログという掃き溜めを作った時は、腹の立つ毒の一つひとつを順番に整理して書いていこうと思っていた。
でも人間の怒りってそんな簡単で理路整然と棚に納まってはいないんだなと。
ふとしたところであのころ消化できなかった怒りがふつふつと沸いてきたりする。
沸いた怒りを一つひとつ消化して行った方がいいのかもしれないと思った。
先日花粉症対策のため空気清浄機を購入した。
それをきっかけに思い出したこと。
花粉症は小学校5年になる春に突然やってきた。
窓を開けると目が猛烈にかゆい。鼻は詰まったり壊れた蛇口のように流れ出たりを繰り返し。
これが世にいう花粉症か!と思ったのを覚えている。
そこそこ仲の良かったクラスメイトが既に花粉症だったので、彼に親近感を覚えたりもした。
発症してから15年余り。
振り返ればいちばん症状がひどかったのは中高6年だなと。
花粉症の症状がピークだった数年間、目を開けているのも辛くて、家の中にいても誰かが玄関や窓を開けた瞬間症状が悪化する。しかし開いてなくても症状は続く。部屋の中でさえ普通の人の外の状態よりひどい感じ。一番マシなのは風呂だったけど風呂でさえゼロにはならない。
常に鼻をかんでいるから耳も痛くてよく聞こえない状態。喉や他のところにも悪影響があって、もはや悪質な風邪のようだった。
現在の私もそれなりに強い鼻炎と目の炎症を起こすのだけれど、当時を思うと全然軽いかなとか思ったりする。
この花粉症から思い出したこと。
やっぱり弟と私で扱い違ったかも、というところと、やっぱりうちの親に私に対する情は薄かったのかもしれないというところ。
私の弟は乳児期に大病をしたのもあり、幼少期は呼吸器が弱かった。軽い喘息持ちだった。
そのため部屋には空気清浄機が置いてあり、常に稼働していた。が。
私が花粉症MAXの頃には彼の病弱が落ち着き、そこには数年間で汚れ切っているつけた方がいいのかつけない方がいいのか微妙な空気清浄機が。
乳幼児だった可愛い男児と中学生女子じゃ母親にとって可愛さも庇護欲も雲泥の差だったんだろうな...
花粉症のために買い替えようとかそんなことが起こるはずもなく。
花粉症の人にしか分からないのかもしれないけど、自宅だけでも症状を抑えるにはいかに部屋の中に花粉を入れないかが重要である。
だが、母は頑なに洗濯物を外干し。
生乾きの臭いがすると嫌がられるからとのこと。
どれだけお願いしてもタオル類も外だったので、タオルで顔を拭いた瞬間花粉症爆発である。
後から洗濯物が出れば水が無駄とキレるような人が、自分の分だけ別洗いなんてしたら怒るだろうなと怖くて出来なかったし、自分の分だけ中に干したところで家人のものを外から部屋の中に取り込んだらそこは花粉パラダイス。
そして洗濯物を取り込め、はたまた畳めと命ぜられることも多く。
花粉まみれのものを目を真っ赤にしながら畳んでいた。
弟の身長が伸び、高い物干しに手が届くようになると、彼には人情があったようで私に代わって洗濯物を取り込んではくれたが、高校生女子と小学生男子では畳んだ時のクオリティが違いすぎて、畳む方はやらざるを得なかった。
やらせるならせめて部屋干しにしてくれ、そんな願いは最後まで届かない。
弟が小さい頃は風邪をうつされて帰宅すると怒られるというか当たり散らされるというか。
その風邪がうつった弟を思うとピリピリするのがわからないのではないのだけど、風邪をうつされるって、しかも当時小学生の私には不可抗力な部分。
それを怒っていたくせに、花粉はガンガン部屋の中に入れる。
タオルも自分の分だけ部屋干しにしたいくらいだったけど、バスタオルは洗うのが面倒だからとフェイスタオルで入浴後体を拭くルールがまかり通るような家で、自分用のフェイスタオルを別にするなんてできずw
渡されていたのはアイボンと鼻うがいとだっさい花粉メガネ。
部屋の中に花粉がうようよしているので、目や鼻を洗ったところで5分と持たなかった。
実家を出て今は思う存分部屋干しをしている。
カーテンを閉め切った(開けたところで日が当たらない)狭い部屋に所狭しと干すけど臭ったりはしない。
その甲斐あってか当時のように部屋の中まで外同様の症状が出るようなことは無い。
あと、時々八つ当たりをされ要らないかもしれない子どもとして育って麻痺していたのかもしれないのだけど、同居人(花粉症なし)が花粉症で鼻をかんだり目薬をさしたり、外出前念入りに花粉を避けるスプレーをかけたりしている私を見て、可哀想と心配そうにみてくるところに驚いた。
昨年の花粉の終わり頃に同居を初め、来シーズンは空気清浄機を導入しようと話していたのもあり、今シーズン購入した。
そうか。花粉症じゃないから彼らは私の辛さがわからなくて意地悪を無意識にしている、のではない。普通の愛情を持った人なら可哀想とか思うんだなと。
もらえなかった情を他人からもらうことで、やはり彼らには情がなかったのかもしれないという確認作業がひとつひとつ進んでいくのだろうと思うと微妙な気持ちになる。
ただ、情などなかったと確信していくことで、彼らを諦めることに対する罪悪感は薄れるのかもしれないと思うとそれはそれでいいことかな。