さよならのしかた、捜索中

ちょっとおかしかったかもしれない身内とどう離れようか考え中の20代女の日記

今更ながら虐待動画を見てしまった話

弟が蹴られる動画を兄がTwitterにアップして、結果加害者である母親が逮捕された事件。

我が家は録画した番組を見るのがメインであまりワイドショーを見ないのもありつい最近知った。

子どもが怪我しなくても、死ななくても親を捕まえられるんだと。

うちの親も10年前に突き出せば捕まったのかなとか、この数年で児相や警察の対応が変わったのかなとか色々考えてしまう。


同じようなことをされたという元被虐待児のツイートをいくらか読んだ。

そして、私もツイートはしないもののその1人だなと。


そんな毒親育ちが最も気になったこと。

撮影する行為よりその場で助けてやる方がいいのではないかというあの理論。


人間に限らず虐待動画が流れると必ず出る、撮ってないで助けてやれという人。

自分が似たような場面に遭遇したことがないのか、はたまた自分のことは棚に上げて他者を糾弾するタイプなのか。

前者なら心から羨ましいし、後者なら他人の状況や心情を汲めないあたり、虐待親たちに近い人種な気がしてお近付きになりたくないw


うちもあった。叩かれたり蹴られたり。

私の手の方が痛いわ!とうちも宣ってたので、自分の方が痛い=相手のためにやっていると謎にすりかえるのは虐待親の共通点なのかもしれないと思った。

まぁアザになるほどではないけど、いっそアザができてしまえば公的機関に訴えられるのにと思いながらやられていた。

今は子供もかなりの割合でスマホを持っていて、動画でこうして証拠を残して訴える方法ができたんだなと。

よくない使われ方もするのかもしれないけど、いい時代になった気がする。

そして暴力については、やられるのは私だけではなく弟も。

しかしすごく理不尽だなと思ったのは、弟が叱られている(もはや叱るではなく、叩かれているや怒鳴られているないしは蹴られているが正解だけど)のに何故お前は庇ってやらないんだと両親に怒られたことである。

こうやってよく薄情者扱いされたものだ。

おかげで私は自分は生まれつき性格が悪くて薄情で人でなしな性格なのだとつい最近まで思っていた。


いやしかし。待てよ。


庇わなきゃいけない叱り方(叱るの範疇ではない)をする方がおかしくないですか?!?!?!?!?!


撮ってないで止めろとかいう無責任なTwitter民の何億倍理不尽である。

止めなきゃならない叱り()方をしているのはお前らだろうが\(^o^)/


確かに私が叱られていると弟はこっちにやってきて親の機嫌を取ろうとしていたときもあった。

でも当時の彼は3歳とかそのくらい。

まだ機嫌をとったところで自分に火の粉が降りかかる可能性があるだけで大した効果も生まないと学習できてないような年齢で。

弟より6歳上の私は彼が殴られるような年齢になった頃には、この親が何を言ったところで怒ってる時には手が飛んでくるし止めたところで無駄でしかないと学習させられ諦めの境地にたどり着いていた。

変にその場にいれば自分まで難癖をつけられるわけで。


こんなことのために自分の性格は人でなしと思って生きてきたのはなんだったのかw

確かにそんなに性格がいい方でもないけど、自分の子どもに性格が悪いと思い込ませることになんの価値があるのか。

実際、同居人は穏やかで優しい性格だが、同居人の両親に会った時には「この子は優しいのが売り」と言っていた。

自分は優しい人と思って育った方が実際に他者に優しい行動ができるのかもしれない。


日本は自分のことは卑下しておくのを良しとする節があるけど、子供は自分とは別人格であるわけで。親の体裁のために卑下されるいわれはないはず。

自分がもし親になることがあったら褒めて育てたいと肝に銘じている。


育てるぞ、自己肯定感。