さよならのしかた、捜索中

ちょっとおかしかったかもしれない身内とどう離れようか考え中の20代女の日記

モラハラ爺さん

父の父。私の祖父。

既に70半ば(くらいだったと思う)であることを考えたらある程度仕方ないのかもしれないけど、今ならネットに書いたら炎上通り越して殺されるんじゃないかというくらい古臭い男尊女卑な考え方をしていたようだ。

まぁ婆さんの方もその考え方にしっかり染っていたのだろうけど。爺さんも潔癖だったのと同じことだろう。

長いこと一緒に居たら似てくる的なあれか。

...ようだ、と書いたのはモラハラに関しては潔癖とは違い直接被害というよりは間接被害が多かったからだ。

なかったとは言わないけど、伝聞系が多い。

そのうちこれも吐き出すことになるのだろうけど、母は娘に愚痴垂れ流し女だったからだ。

母が余計なことを子供に言わなければ私(たち)はここまで爺さんと婆さんを嫌いにならなかったかもしれない。

でも聞かされたもんは仕方ない。

そもそも大前提としてそれを言った爺さん婆さんがいちばん悪い。

というわけでモラハラ爺さんに関してはこう言われたと愚痴られて不愉快というか人として有り得ないなと思ったものを思い出していくとする。

これもいつか書くと思うが、父は世間体はいい普通の職業であったので、表向きはしっかりとした父また夫だった。しかし実際のところ多趣味で浪費癖があり、家庭より自分の趣味を優先する人だった。
そのため、母は私が乳児の頃から何かしらのパートに出ていた。最初は新聞配達だったらしい。
その新聞配達のパートについて、みっともないと叱責されたというのだ。
どこから突っ込んでいいのかすらわからないけれど、彼(ら)は亭主の稼ぎでやりくりするのが嫁の仕事という持論を展開していたらしい。
その理論の上では、亭主の稼ぎでやりくりできないダメ女で、働くことは亭主の稼ぎが悪いと間接的に主張するみっともないことだそうで。
呆れてものも言えない。
私が生まれた頃とはいえ、既に時は平成。先の大戦が終わって50年はたった頃である。
この他にもたった一度友人の結婚式のために私を預けたら、母親失格だと罵られた(特に預けられた私が泣いたり騒いだりしたということはないらしいのに)だの色々言っていたけど、全体的に不出来な息子を製造しておきながら嫁への注文が多い。
専業でやりくりせえってやつだって、おめえの息子にもっと稼がせてこいやと思うw
そして嫁に注文する割には私からしたら祖父母も祖父母失格である。
彼らの価値観の根底の古い時代はジジババが孫の面倒くらい見てただろうよ。
そして近代のジジババだって、少なくともレトルト食品ばかり食べさせ、孫がトラウマになるほど掃除機で吸ったりしない。
まぁ物心つく前のことなので、言われなきゃ知るよしもなかった話なのでその点においては失格な気もするけれど。
この爺さんのせいで(爺さんが左利き)私は左利きでというのに、左利きを矯正しない母が文句を言われていたり。これに関しては覚えている。
比較的母は近代的なな考え方をしていて、左利きはひとつの個性なので矯正しなくてはならないものではないという持論(母は右利き)。
爺さんの家系は適齢期が来たらお見合いをさせて結婚させていたようだが、この点に関しても結婚は必要なものじゃないとしていた。自分が失敗したからだろうけど\(^o^)/
あとは高卒で、職を転々とした祖父とそのせいで一日中働いていた祖母に育てられた母の家柄を馬鹿にしていたとかなんとか。
これも言われなきゃ子供だったし気づかなかったかもなぁ。
でも母は私にLINEで嫌味を言われても気づいてなさそうなことが多い鈍い人なので、この母に被害の意識を与えた辺り本当に馬鹿にしていたんだろう。。。

他にも多分あとからゴロゴロ思い出して書くんだろう。
父のことは本当に嫌いだったけど、こうやってジジイとババアのことを思い出すと父も被害者なのかもしれないな。

潔癖婆さん

虐待や毒親は連鎖して、被虐待児や毒親育ちが自分たちが受けた仕打ちをそのまましてしまう、という説に中高生くらいから絶望しながら生きてきた。

私は家庭を築いてはいけないのではないか。

不幸な次世代を生み出してはいけない...と。

そう絶望するのは、少しずつおかしい両親がともに種類の違う少しずつおかしい人達に育てられたのを知っていたからだ。

彼らは毒を受けて育ち、立派な毒親二世として私や弟に毒をあびせた訳で。

曾祖父母の代がどうだったかはわからない。私が生まれた時点で8人中6人が亡くなっていたし。

それでも祖父母の代はまだ全員生きていて、最近は会わないという最大の自衛をとっているものの孫にとっても少しおかしい人達だった。

まずは私の父の方。

彼は潔癖鬱一家の祖母ととド田舎の男尊女卑丸出し=今風に言えばモラハラ野郎の祖父に育てられた。

父から子供の頃の自分の親(私の祖父母)の話をあまり聞いた覚えはないので、あくまで孫の目線ではあるけれど。

まず潔癖鬱家系の祖母。というか潔癖に関しては私が生まれた頃には祖父母ふたりともが潔癖だったのだけど。

ただ、祖父の親族の家は祖父以外はおおらかなのに対し、祖母の家系は父曰く姉妹全員が潔癖とのことなので、彼らの潔癖の根源は祖母によるものだと勝手に思っている。

彼らの潔癖は幼い孫へも例外ではなく、物心着いた時には彼らの家でものを食べる時には隣に掃除機がスタンバイされていた。

ひとかけらでもこぼそうものなら孫が着ている服の上まで掃除機をかける。

おかげで幼少期掃除機が苦手だった。

こぼされると嫌だから飲み物は溢れにくいストロー付きの紙パック飲料のみ。

私は動くのが嫌いでいつも座っている子供だった。当然立ち歩いて飲み食いなどしない。それでもその対応である。

ひまさえあれば掃除機やコロコロをかけ、床に落ちた髪の毛を拾っている。

落ちていれば拾えと言われるし。残念ながらこの潔癖を父はある程度引き継いでいたので、髪の毛に関しては実家でもよく言われた。

これは誰々の髪の毛だ、拾え等々。

お前がハゲで落ちる髪がないからってうるせえよって言ってやりたいところである。

尚、頭髪以外は毛深いので、すね毛とかは落ちてたりするんだけども。

あとはサンダルで外に出たら足を洗ってから家に入れとか、1回でも外に出た服や靴下で寝室に入るなとか。

そのくせ布団は畳に年中敷きっぱなしなところ、理解不能である。

そんなに寝具を汚したくなければ寝具の方をしまえよっていう。

まぁ潔癖だけなら一定数いるんだろうけど。

祖母は料理もあまりしない。

そのせいで弟が入院し母は付き添い、父は仕事で仕方なく預けられた時にはお歳暮でもらったであろうレトルトカレーが毎食登場した。

当時6歳の私には大人向けのギフトのカレーは辛くて、かといって辛くて食べられないとは言えず水を飲みながら必死で食べていた。

レトルトカレーの詰め合わせ、ハヤシライスも入ってて。ハヤシライスの日がすごく嬉しかった。

そして預けられていた1週間ほど、日中の面会可能な時間帯は母もいるとはいえ弟の病室に置き去りにされていた。

夕方真っ暗になるまで、病室で千羽鶴に使われなかった黒と茶色の折り紙に絵を描いていた。

託児所代わりかよってな。

基本的にこの人たちは子供が嫌いなんだろうなと今冷静に考えて思う。

一生読み返さなそうな長さw

モラハラ爺さんのことは次に書くとするか。

この人たちおかしい?

最初にそう気づいたのはいつのことだろう。 父のことは物心着いた時には嫌いだった。 幼稚園くらいまでは周りに普通にいる、パパと結婚する!と無邪気に言う子を冷めた目で見ていた。 一方で母のことは好きだった。今ではコイツも同罪くらいに思っているけれど、当時はそこしか拠り所がなかったからだろう。 しかし小学校高学年にもなれば、こうやって手や足が飛んでくるのは虐待なんじゃないか?とか親の言動に色々と疑念を抱くようになった記憶。 アザにならない程度(弟はコブが出来るほどやられてたけど)だし、この程度で親を罰せるのは無理だと知りながらも、この人たちがやっていることは正しくないのではないかと。 そのほかにも経済的DV、兄弟差別、身内のゴタゴタ...いろいろ巻き込まれて彼らにはうんざり。 一人一人が少しずつおかしかった私の親族のこと、少しずつ整理していきたい。