さよならのしかた、捜索中

ちょっとおかしかったかもしれない身内とどう離れようか考え中の20代女の日記

潔癖婆さん

虐待や毒親は連鎖して、被虐待児や毒親育ちが自分たちが受けた仕打ちをそのまましてしまう、という説に中高生くらいから絶望しながら生きてきた。

私は家庭を築いてはいけないのではないか。

不幸な次世代を生み出してはいけない...と。

そう絶望するのは、少しずつおかしい両親がともに種類の違う少しずつおかしい人達に育てられたのを知っていたからだ。

彼らは毒を受けて育ち、立派な毒親二世として私や弟に毒をあびせた訳で。

曾祖父母の代がどうだったかはわからない。私が生まれた時点で8人中6人が亡くなっていたし。

それでも祖父母の代はまだ全員生きていて、最近は会わないという最大の自衛をとっているものの孫にとっても少しおかしい人達だった。

まずは私の父の方。

彼は潔癖鬱一家の祖母ととド田舎の男尊女卑丸出し=今風に言えばモラハラ野郎の祖父に育てられた。

父から子供の頃の自分の親(私の祖父母)の話をあまり聞いた覚えはないので、あくまで孫の目線ではあるけれど。

まず潔癖鬱家系の祖母。というか潔癖に関しては私が生まれた頃には祖父母ふたりともが潔癖だったのだけど。

ただ、祖父の親族の家は祖父以外はおおらかなのに対し、祖母の家系は父曰く姉妹全員が潔癖とのことなので、彼らの潔癖の根源は祖母によるものだと勝手に思っている。

彼らの潔癖は幼い孫へも例外ではなく、物心着いた時には彼らの家でものを食べる時には隣に掃除機がスタンバイされていた。

ひとかけらでもこぼそうものなら孫が着ている服の上まで掃除機をかける。

おかげで幼少期掃除機が苦手だった。

こぼされると嫌だから飲み物は溢れにくいストロー付きの紙パック飲料のみ。

私は動くのが嫌いでいつも座っている子供だった。当然立ち歩いて飲み食いなどしない。それでもその対応である。

ひまさえあれば掃除機やコロコロをかけ、床に落ちた髪の毛を拾っている。

落ちていれば拾えと言われるし。残念ながらこの潔癖を父はある程度引き継いでいたので、髪の毛に関しては実家でもよく言われた。

これは誰々の髪の毛だ、拾え等々。

お前がハゲで落ちる髪がないからってうるせえよって言ってやりたいところである。

尚、頭髪以外は毛深いので、すね毛とかは落ちてたりするんだけども。

あとはサンダルで外に出たら足を洗ってから家に入れとか、1回でも外に出た服や靴下で寝室に入るなとか。

そのくせ布団は畳に年中敷きっぱなしなところ、理解不能である。

そんなに寝具を汚したくなければ寝具の方をしまえよっていう。

まぁ潔癖だけなら一定数いるんだろうけど。

祖母は料理もあまりしない。

そのせいで弟が入院し母は付き添い、父は仕事で仕方なく預けられた時にはお歳暮でもらったであろうレトルトカレーが毎食登場した。

当時6歳の私には大人向けのギフトのカレーは辛くて、かといって辛くて食べられないとは言えず水を飲みながら必死で食べていた。

レトルトカレーの詰め合わせ、ハヤシライスも入ってて。ハヤシライスの日がすごく嬉しかった。

そして預けられていた1週間ほど、日中の面会可能な時間帯は母もいるとはいえ弟の病室に置き去りにされていた。

夕方真っ暗になるまで、病室で千羽鶴に使われなかった黒と茶色の折り紙に絵を描いていた。

託児所代わりかよってな。

基本的にこの人たちは子供が嫌いなんだろうなと今冷静に考えて思う。

一生読み返さなそうな長さw

モラハラ爺さんのことは次に書くとするか。